尽きそうになった。そこで宿屋の主人の世話で、九郎右衛門は按摩《あんま》になり、文吉は淡島《あわしま》の神主になった。按摩になったのは、柔術の心得があるから、按摩の出来ぬ筈はないと云うのであった。淡島の神主と云うのは、神社で神に仕えるものではない。胸に小さい宮を懸けて、それに紅《もみ》で縫った括猿《くくりざる》などを吊《つ》り下げ、手に鈴を振って歩く乞食《こじき》である。
その時九郎右衛門、宇平の二人は文吉に暇《いとま》を遣ろうとして、こう云った。これまでも我々は只お前と寝食を共にすると云うだけで、給料と云うものも遣らず、名のみ家来にしていたのに、お前は好く辛抱して勤めてくれた。しかしもう日本全国をあらかた遍歴して見たが、敵はなかなか見附からない。この按排《あんばい》では我々が本意を遂げるのは、いつの事か分らない。事によったらこのまま恨《うらみ》を呑《の》んで道路にのたれ死をするかも知れない。お前はこれまで詞《ことば》で述べられぬ程の親切を尽してくれたのだから、どうもこの上一しょにいてくれとは云い兼ねる。勿論《もちろん》敵の面体《めんてい》を見識らぬ我々は、お前に別れては困るに違ないが
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