いて、室積《むろづみ》を経て、岩国の錦帯橋へ出た。そこを三日捜して、舟で安芸国《あきのくに》宮島へ渡った。広島に八日いて、備後国《びんごのくに》に入り、尾の道、鞆《とも》に十七日、福山に二日いた。それから備前国岡山を経て、九郎右衛門の見舞|旁《かたがた》姫路に立ち寄った。
宇平、文吉が姫路の稲田屋で九郎右衛門と再会したのは、天保六年|乙未《きのとひつじ》の歳正月二十日であった。丁度その時|広岸《こうがん》(広峯)山《ざん》の神主《かんぬし》谷口某と云うものが、怪しい非人の事を知らせてくれたので、九郎右衛門が文吉を見せに遣った。非人は石見産《いわみうまれ》だと云っていた。人に怪まれるのは脇差を持っていたからであった。しかし敵ではなかった。
九郎右衛門の足はまだなかなか直らぬので、宇平は二月二日に文吉を連れて姫路を立って、五日に大阪に着いた。宿は阿波座《あわざ》おくひ町の摂津国屋《つのくにや》である。然るに九郎右衛門は二人を立たせてから間もなく、足が好くなって、十四日には姫路を立って、明石から舟に乗って、大阪へ追いかけて往った。
三人は摂津国屋に泊って、所々を尋ね廻るうちに、路銀が
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