をした宇平は留飲疝通《りゅういんせんつう》に悩み、文吉も下痢して、食事が進まぬので、湯町で五十日の間保養した。大分体が好くなったと云って、中大洲《なかおおす》を二日捜して、八幡浜《やはたはま》に出ると、病後を押して歩いた宇平が、力抜けがして煩《わずら》った。そこで五日間滞留して、ようよう九州行の舟に乗ることが出来た。四国の旅は空《むな》しく過ぎたのである。

 舟は豊後国佐賀関《ぶんごのくにさがのせき》に着いた。鶴崎《つるさき》を経て、肥後国《ひごのくに》に入り、阿蘇山《あそさん》の阿蘇神宮、熊本の清正公《せいしょうこう》へ祈願に参って、熊本と高橋とを三日ずつ捜して、舟で肥前国《ひぜんのくに》島原に渡った。そこに二日いて、長崎へ出た。長崎で三日目に、敵らしい僧を島原で見たと云う話を聞いて、引き返して又島原を五日尋ねた。それから熊本を更に三日、宇土を二日、八代《やつしろ》を一日、南工宿《なんくじゅく》を二日尋ねて、再び舟で肥前国|温泉嶽《おんせんだけ》の下の港へ渡った。すると長崎から来た人の話に、敵らしい僧の長崎にいることを聞いた。長崎|上筑後町《かみちくごまち》の一向宗《いっこうしゅう
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