日も雨が降ったので滞留した。そして二十四日に高野山に登った。山で逢ったものもある。二十六日の夕方には、下山して橋本にいたのを人が見た。それからは行方不明になっている。多分四国へでも渡ったかと云うことである。
松坂の目代にこの顛末《てんまつ》を聞いた時、この坊主になった定右衛門の伜亀蔵が敵だと云うことに疑を挾《はさ》むものは、主従三人の中《うち》に一人もなかった。宇平はすぐに四国へ尋ねに往こうと云った。しかし九郎右衛門がそれを止めて、四国へ渡ったかも知れぬと云うのは、根拠のない推量である、四国へもいずれ往くとして、先ず手近な土地から捜すが好いと云った。
一行は松坂を立って、武運を祈るために参宮した。それから関を経て、東海道を摂津国《せっつのくに》大阪に出て、ここに二十三日を費した。その間に松坂から便《たより》があって、紀州の定右衛門が伜の行末を心配して、気病《きやみ》で亡くなったと云う事を聞いた。それから西宮《にしのみや》、兵庫《ひょうご》を経て、播磨国《はりまのくに》に入《い》り、明石《あかし》から本国姫路に出て、魚町《うおまち》の旅宿に三日いた。九郎右衛門は伜の家があっても、本
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