正月二十四日に、熊野|仁郷村《にんごうむら》にいるははかたの小父林助の家に来て、置いてくれと頼んだが、林助は貧乏していて、人を置くことが出来ぬと云って、勧めて父定右衛門が許《もと》へ遣《や》った。知人にたよろうとし、それが※[#「りっしんべん+(はこがまえ<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》わぬ段になって、始めて親戚をおとずれ、親戚にことわられて、亀蔵はようよう親許へ帰る気になったらしい。定右衛門の家には二十八日に帰った。
二月中旬に亀蔵は江戸で悪い事をして帰ったのだろうと云う噂《うわさ》が、松坂から定右衛門の方へ聞えた。定右衛門が何をしたかと問うた時、亀蔵は目上の人に創を負わせたと云った。そこで定右衛門と林助とで、亀蔵を坊主にして、高野山《こうやさん》に登らせることにした。二人が剃髪《ていはつ》した亀蔵を三浦坂まで送って別れたのが二月十九日の事である。亀蔵はその時茶の弁慶縞《べんけいじま》の木綿綿入を着て、木綿帯を締め、藍《あい》の股引《ももひき》を穿《は》いて、脚絆を当てていた。懐中には一両持っていた。
亀蔵は二十二日に高野領清水村の又兵衛と云うものの家に泊って、翌二十三
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