たらたらと落ちた。背後《うしろ》から一刀浴せられたのである。
夜具葛籠の前に置いてあった脇差《わきざし》を、手探りに取ろうとする所へ、もう二の太刀《たち》を打ち卸して来る。無意識に右の手を挙げて受ける。手首がばったり切り落された。起ち上がって、左の手でむなぐらに掴《つか》み着いた。
相手は存外|卑怯《ひきょう》な奴《やつ》であった。むなぐらを振り放し科《しな》に、持っていた白刃《しらは》を三右衛門に投げ付けて、廊下へ逃げ出した。
三右衛門は思慮の遑《いとま》もなく跡を追った。中の口まで出たが、もう相手の行方《ゆくえ》が知れない。痛手を負った老人の足は、壮年の癖者《くせもの》に及ばなかったのである。
三右衛門は灼《や》けるような痛《いたみ》を頭と手とに覚えて、眩暈《めまい》が萌《きざ》して来た。それでも自分で自分を励まして、金部屋《かねべや》へ引き返して、何より先に金箱の錠前を改めた。なんの異状もない。「先ず好かった」と思った時、眩暈が強く起こったので、左の手で夜具葛籠を引き寄せて、それに靠《よ》り掛かった。そして深い緩《ゆる》い息を衝《つ》いていた。
物音を聞き附けて、最初
前へ
次へ
全54ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング