云った。「おい。もう当分我々は家なんぞはいらんが、若殿が旅に出て風を引かぬように、支度だけはして遣《や》らんではならんぞ」叔父は宇平を若殿々々と呼んで揶揄《からか》っているのである。
「はい」と云ったりよは、その晩から宇平の衣類に手を着けた。
 九日にはりよが旅支度にいる物を買いに出た。九郎右衛門が書附にして渡したのである。きょうは風が南に変って、珍らしく暖いと思っていると、酉《とり》の上刻に又|檜物町《ひものちょう》から出火した。おとつい焼け残った町家《まちや》が、又この火事で焼けた。
 十日には又寒い西北の風が強く吹いていると、正午に大名小路《だいみょうこうじ》の松平伯耆守宗発《まつだいらほうきのかみむねあきら》の上邸から出火して、京橋方面から芝口へ掛けて焼けた。
 続いて十一日にも十二日にも火事がある。物価の高いのに、災難が引き続いてあるので、江戸中人心|恟々《きょうきょう》としている。山本方で商人に注文した、少しばかりの品物にも、思い掛けぬ手違《てちがえ》が出来て、りよが幾ら気を揉《も》んでも、支度がなかなかはかどらない。
 或る日九郎右衛門は烟草《たばこ》を飲みながら、りよの
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