mオトブックを将校行李の中《うち》へしまった。
八月になって、司令部のものもてんでに休暇を取る。師団長は家族を連れて、船小屋の温泉へ立たれた。石田は纏まった休暇を貰わずに、隔日に休むことにしている。
表庭の百日紅に、ぽつぽつ花が咲き始める。おりおり蝉《せみ》の声が向いの家の糸車の音にまじる。六日は日曜日で、石田の処《ところ》へも暑中見舞の客が沢山来た。初め世帯を持つときに、渋紙《しぶがみ》のようなもので拵《こしら》えた座布団を三枚買った。まだ余り使わないのに中に入れた綿が方々に寄って塊《かたまり》になっている。客が三人までは座布団を敷かせることが出来るが、四人落ち合うと、畳んだ毛布の上に据《す》わらせられる。今日なぞはとうとう毛布に乗ったお客があった。
客は大抵|帷子《かたびら》に袴《はかま》を穿《は》いて、薄羽織を被《き》て来る。薄羽織は勿論《もちろん》、袴というものも石田なぞは持っていないのである。石田はこんな日には、朝から夏衣袴《なついこ》を着て応対する。
客は大抵同じような事を言って帰る。今年は暑が去年より軽いようだ。小倉は人気が悪くて、物価が高い。殊《こと》に屋賃をは
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