いている時と大抵同じ事ではあるが、少し筋肉が弛《ゆる》んでいるだけ違う。微笑の浮ぶのを制せないだけ違う。
 石田はこんな事を思っている。鶏は垣を越すものと見える。坊主が酒を般若湯《はんにゃとう》というということは世間に流布しているが、鶏を鑽籬菜《さんりさい》というということは本を読まないものは知らない。鶏を貰った処が、食いたくもなかったので、生かして置こうと思った。生かして置けば垣も越す。垣を越すかも知れないということまで、初めに考えなかったのは、用意が足りないようではあるが、何を為《す》るにもそんな 〔e'ventualite'〕 を眼中に置いては出来ようがない。鶏を飼うという事実に、この女が怒るという事実が附帯して来るのは、格別驚くべきわけでもない。なんにしろ、あの垣の上に妙な首が載っていて、その首が何の遠慮もなく表情筋を伸縮させて、雄弁を揮《ふる》っている処は面白い。東京にいた時、光線の反射を利用して、卓の上に載せた首が物を言うように思わせる見世物を見たことがあった。あれは見世物師が余り 〔pre'tentieux〕 であったので、こっちの反感を起して面白くなかった。あれよりは此方
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