。何町歩とかの畑を持たないでは、鶏を飼ってはならないというのである。然るに借家ずまいをしていて鶏を飼うなんぞというのは僭越《せんえつ》もまた甚《はなはだ》しい。サアベルをさして馬に騎《の》っているものは何をしても好いと思うのは心得違である。大抵こんな筋であって、攻撃余力を残さない。女はこんな事も言う。鶏が何をしているか知らないばかりではない。傭婆《やといば》あさんが勝手の物をごまかして、自分の内の暮しを立てているのも知るまい。別当が馬の麦をごまかして金を溜《た》めようとしているのも知るまい。こういうときは声を一層張り上げる。婆あさんにも別当にも聞せようとするのである。女はこんな事も言う。借家人の為《す》ることは家主の責任である。サアベルが強《こわ》くて物が言えないようなら、サアベルなんぞに始から家を貸さないが好い。声はいよいよ高くなる。薄井の爺さんにも聞せようとするのである。
石田は花壇の前に棒のように立って、しゃべる女の方へ真向《まむき》に向いて、黙って聞いている。顔にはおりおり微笑の影が、風の無い日に木葉《このは》が揺らぐように動く外には、何の表情もない。軍服を着て上官の小言を聞
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