》は七十銭位の舶来品を使っている。何故《なぜ》そんな贅沢《ぜいたく》をするかと人が問うと、石鹸は石鹸でなくてはいけない、贋物《にせもの》を使う位なら使わないと云っている。五分刈頭を洗う。それから裸になって体じゅうを丁寧に揩《ふ》く。同じ金盥で下湯《しもゆ》を使う。足を洗う。人が穢《きたな》いと云うと、己の体は清潔だと云っている。湯をバケツに棄てる。水をその跡に取って手拭を洗う。水を棄てる。手拭を絞って金盥を揩《ふ》く。又手拭を絞って掛ける。一日に二度ずつこれだけの事をする。湯屋には行かない。その代り戦地でも舎営をしている間は、これだけの事を廃《よ》せないのである。
石田は襦袢袴下《じゅばんこした》を着替えて又夏衣袴を着た。常の日は、寝巻に湯帷子《ゆかた》を着るまで、このままでいる。それを客が来て見て、「野木さんの流義か」と云うと、「野木閣下の事は知らない」と云うのである。
机の前に据わる。膳が出る。どんなにゆっくり食っても、十五分より長く掛かったことはない。
外を見れば雨が歇《や》んでいる。石田は起《た》って台所に出た。飯を食っている婆あさんが箸《はし》を置くのを見て「用ではない
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