公の御親書を得て、翌晩関東へ出立いたし候。この歳《とし》赤松家滅亡せられ候により、景一は森の案内にて豊前国《ぶぜんのくに》へ参り、慶長六年御当家に召抱《めしかか》えられ候《そろ》。元和《げんな》五年御当代|光尚《みつひさ》公御誕生遊ばされ、御幼名|六丸君《ろくまるぎみ》と申候。景一は六丸君|御附《おつき》と相成り候。元和《げんな》七年三斎公御|致仕《ちし》遊ばされ候時、景一も剃髪《ていはつ》いたし、宗也《そうや》と名告《なの》り候。寛永《かんえい》九年十二月九日御先代|妙解院殿忠利公《みょうげいんでんただとしこう》肥後《ひご》へ御入国遊ばされ候時、景一も御供《おんとも》いたし候。十八年三月十七日に妙解院殿卒去遊ばされ、次いで九月二日景一も病死いたし候。享年《きょうねん》八十四歳に候。
兄九郎兵衛|一友《かずとも》は景一が嫡子にして、父につきて豊前《ぶぜん》へ参り、慶長十七年三斎公に召しいだされ、御次勤《おんつぎづとめ》仰《おおせ》つけられ、後病気により外様勤《とざまづとめ》と相成り候。妙解院殿の御代《おんだい》に至り、寛永十四年冬|島原攻《しまばらぜめ》の御供いたし、翌十五年二月二十
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