》と黒田|右衛門佐光之《うえもんのすけみつゆき》とが同日に江戸を立った。東海道に掛かると、人馬が不足した。光之は一日だけ先へ乗り越した。この時寺本四郎右衛門[#「四郎右衛門」は底本では「四郎兵衛」]が京都にいる弟又次郎の金を七百両借りて、坂下、関、亀山三箇所の人馬を買い締めて、山の中に隠して置いた。さて綱利の到着するのを待ち受けて、その人馬を出したので、綱利は土山水口の駅で光之を乗り越した。綱利は喜んで、後に江戸にいた四郎右衛門の二男四郎兵衛を召《め》し抱《かか》えた。四郎兵衛の嫡子作右衛門は五|人扶持《にんふち》二十石を給わって、中小姓《ちゅうこしょう》組に加わって、元禄四年に病死した。作右衛門の子|登《のぼる》は越中守|宣紀《のぶのり》に任用せられ、役料共七百石を給わって、越中守|宗孝《むねたか》の代に用人を勤めていたが、元文三年に致仕した。登の子四郎右衛門[#「四郎右衛門」は底本では「四郎兵衛」]は物奉行《ものぶぎょう》を[#「物奉行《ものぶぎょう》を」は底本では「物奉作《ものぶぎょう》を」]勤めているうちに、寛延三年に旨に忤《さか》って知行宅地を没収せられた。その子|宇平太《う
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