永三年九月|六日《むいか》主上《しゅじょう》二条の御城《おんしろ》へ行幸遊ばされ妙解院殿へかの名香を御所望|有之《これあり》すなわちこれを献《けん》ぜらるる、主上|叡感《えいかん》有りて「たぐひありと誰《たれ》かはいはむ末《すゑ》※[#「鈞のつくり」、第3水準1−14−75]《にほ》ふ秋より後のしら菊の花」と申す古歌の心にて、白菊と名附《なづ》けさせ給《たもう》由《よし》承り候。某が買い求め候香木、畏《かしこ》くも至尊の御賞美を被《こうむ》り、御当家の誉《ほまれ》と相成り候事、存じ寄らざる儀《ぎ》と存じ、落涙候事に候。
その後某は御先代妙解院殿よりも出格の御引立を蒙《こうむ》り、寛永九年|御国替《おんくにがえ》の砌《みぎり》には、三斎公の御居城|八代《やつしろ》に相詰《あいつ》め候事と相成り、あまつさえ殿御上京の御供にさえ召具《めしぐ》せられ候《そろ》。しかるところ寛永一四年島原征伐の事|有之《これあり》候。某をば妙解院殿御弟君|中務少輔殿立孝公《なかつかさしょうゆうどのたつたかこう》の御旗本《おんはたもと》に加えられ御幟《おんのぼり》を御預けなされ候。十五年二月廿二日御当家|御攻口
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