方《ほう》が求め参れと申つけたる珍品に相違なければ、大切と心得候事当然なり、総て功利の念をもて物を視《み》候わば、世の中に尊き物は無くなるべし、ましてやその方が持帰り候伽羅は早速《さっそく》焚《た》き試み候に、希代《きたい》の名木なれば、「聞く度に珍らしければ郭公《ほととぎす》いつも初音の心地こそすれ」と申す古歌に本《もと》づき、銘を初音とつけたり、かほどの品を求め帰り候事|天晴《あっぱれ》なり、ただし討《う》たれ候侍の子孫遺恨を含みいては相成らずと仰せられ候。かくて直ちに相役の嫡子《ちゃくし》を召され、御前において盃を申つけられ、某《それがし》は彼者《かのもの》と互に意趣を存《ぞん》ずまじき旨《むね》誓言致し候。
 これより二年目、寛永三年九月六日|主上《しゅじょう》二条の御城へ行幸遊ばされ、妙解院殿へかの名香を御所望有之、すなわちこれを献ぜらる、主上|叡感《えいかん》有りて、「たぐひありと誰かはいはむ末《すゑ》※[#「鈞のつくり」、第3水準1−14−75]《にほ》ふ秋より後のしら菊の花」と申す古歌の心にて、白菊と名づけさせ給《たも》う由承候。某が買求め候香木、畏《かしこ》くも至尊の
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