候は、その道の御心得なき故、一|徹《てつ》に左様思わるるならんと申候。相役聞きも果てず、いかにも某は茶事の心得なし、一徹なる武辺者《ぶへんもの》なり、諸芸に堪能なるお手前の表芸《おもてげい》が見たしと申すや否や、つと立ち上がり、旅館の床の間なる刀掛より刀を取り、抜打《ぬきうち》に切つけ候。某が刀は違棚《ちがいだな》の下なる刀掛に掛けあり、手近なる所には何物も無之故、折しも五月の事なれば、燕子花《かきつばた》を活けありたる唐金《からかね》の花瓶を掴《つか》みて受留め、飛びしざりて刀を取り、抜合せ、ただ一打に相役を討果たし候。
 かくて某《それがし》は即時に伽羅《きゃら》の本木《もとき》を買取り、杵築《きつき》へ持帰り候。伊達家の役人は是非《ぜひ》なく末木《うらき》を買取り、仙台へ持帰り候。某は香木を松向寺殿に参らせ、さて御願い申候は、主命大切と心得候ためとは申ながら、御役に立つべき侍《さむらい》一人討果たし候段、恐入り候えば、切腹|仰附《おおせつ》けられたしと申候。松向寺殿|聞召《きこしめ》され、某に仰せられ候は、その方が申条一々もっとも至極《しごく》なり、たとい香木は貴からずとも、この
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