つか》まって何か言っている。下では、「へい、さようなら成田屋の河内山《こうちやま》と音羽屋《おとわや》の直侍《なおざむらい》を一つ、最初は河内山」と云って、声色《こわいろ》を使いはじめた。
 銚子《ちょうし》を換えに来ていた女中が、「おや、今晩のは本当のでございます」と云った。
 末造には分からなかった。「本当のだの、嘘《うそ》のだのと云って、色々ありますかい」
「いえ、近頃は大学の学生さんが遣ってお廻りになります」
「失《や》っ張《ぱり》鳴物入で」
「ええ。支度から何からそっくりでございます。でもお声で分かります」
「そんなら極《き》まった人ですね」
「ええ。お一人しか、なさる方はございません」女中は笑っている。
「姉《ね》えさん、知っているのだね」
「こちらへもちょいちょいいらっしゃった方だもんですから」
 爺いさんが傍《そば》から云った。「学生さんにも、御器用な方があるものですね」
 女中は黙っていた。
 末造が妙に笑った。「どうせそんなのは、学校では出来ない学生なのですよ」こう云って、心の中《うち》には自分の所へ、いつも来る学生共の事を考えている。中には随分職人の真似をして、小
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