店と云う所を冷かすのが面白いなどと云って、不断も職人のような詞遣《ことばづかい》をしている人がある。しかしまさか真面目に声色を遣って歩く人があろうとは、末造も思っていなかったのである。
 一座の話を黙って聞いているお玉を、末造がちょっと見て云った。
「お玉さんは誰が贔屓ですか」
「わたくし贔屓なんかございませんの」
 爺いさんが詞を添えた。「芝居へ一向まいりませんのですから。柳盛座がじき近所なので、町内の娘さん達がみな覗《のぞ》きにまいりましても、お玉はちっともまいりません。好きな娘さん達は、あのどんちゃんどんちゃんが聞えては内にじっとしてはいられませんそうで」
 爺いさんの話は、つい娘自慢になりたがるのである。

     捌《はち》

 話が極まって、お玉は無縁坂へ越して来ることになった。
 ところが、末造がひどく簡単に考えていた、この引越《ひきこし》にも多少の面倒が附き纏った。それはお玉が父親をなるたけ近い所に置いて、ちょいちょい尋ねて行って、気を附けて上げるようにしたいと云い出したからである。最初からお玉は、自分が貰う給金の大部分を割いて親に送って、もう六十を越している親に不自
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