した女中が説明をして置いて下がった。真偽の分からぬ肉筆の浮世絵の軸物を掛けて、一輪挿《いちりんざし》に山梔《くちなし》の花を活けた床の間を背にして座を占めた末造は、鋭い目であたりを見廻した。
二階と違って、その頃からずっと後《のち》に、殺風景にも競馬の埒《らち》にせられて、それから再び滄桑《そうそう》を閲《けみ》して、自転車の競走場になった、あの池の縁《ふち》の往来から見込まれぬようにと、切角《せっかく》の不忍の池に向いた座敷の外は籠塀《かごべい》で囲んである。塀と家との間には、帯のように狭く長い地面があるきりなので、固《もと》より庭と云う程の物は作られない。末造の据わっている所からは、二三本寄せて植えた梧桐《あおぎり》の、油雑巾で拭いたような幹が見えている。それから春日燈籠《かすがどうろう》が一つ見える。その外《ほか》には飛び飛びに立っている、小さい側栢《ひのき》があるばかりである。暫《しばら》く照り続けて、広小路は往来の人の足許《あしもと》から、白い土烟《つちけぶり》が立つのに、この塀の内《うち》は打水をした苔《こけ》が青々としている。
間もなく女中が蚊遣《かやり》と茶を持って
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