が先になるに過ぎぬと云う諦《あきら》めも手伝って、末造に決心させたのである。
そこで当前《あたりまえ》なら支度料幾らと云って、纏《まと》まった金を先方へ渡すのであるが、末造はそうはしない。身なりを立派にする道楽のある末造は、自分だけの為立物《したてもの》をさせる家があるので、そこへ事情を打ち明けて、似附かわしい二人の衣類を誂《あつら》えた。只寸法だけを世話を頼んだ婆あさんの手でお玉さんに問わせたのである。気の毒な事には、この油断のない、吝《けち》な末造の処置を、お玉親子は大そう善意に解釈して、現金を手に渡されぬのを、自分達が尊敬せられているからだと思った。
漆《しち》
上野広小路は火事の少い所で、松源の焼けたことは記憶にないから、今もその座鋪《ざしき》があるかも知れない。どこか静かな、小さい一間をと誂えて置いたので、南向の玄関から上がって、真っ直に廊下を少し歩いてから、左へ這入る六畳の間に、末造は案内せられた。
印絆纏《しるしばんてん》を着た男が、渋紙の大きな日覆《ひおい》を巻いている最中であった。
「どうも暮れてしまいますまでは夕日が入《い》れますので」と、案内を
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