来て、注文を聞いた。末造は連れが来てからにしようと云って、女中を立たせて、ひとり烟草《たばこ》を呑《の》んでいた。初め据わった時は少し熱いように思ったが、暫く立つと台所や便所の辺《あたり》を通って、いろいろの物の香を、微《かす》かに帯びた風が、廊下の方から折々吹いて来て、傍《そば》に女中の置いて行った、よごれた団扇《うちわ》を手に取るには及ばぬ位であった。
 末造は床の間の柱に寄り掛かって、烟草の烟《けぶり》を輪に吹きつつ、空想に耽《ふけ》った。好《い》い娘だと思って見て通った頃のお玉は、なんと云ってもまだ子供であった。どんな女になっただろう。どんな様子をして来るだろう。とにかく爺いさんが附いて来ることになったのは、いかにもまずかった。どうにかして爺いさんを早く帰してしまうことは出来ぬか知らんなんぞと思っている。二階では三味線の調子を合せはじめた。
 廊下に二三人の足音がして、「お連様が」と女中が先へ顔を出して云った。「さあ、ずっとお這入なさいよ。檀那はさばけた方だから、遠慮なんぞなさらないが好《い》い」轡虫《くつわむし》の鳴くような調子でこう云うのは、世話をしてくれた、例の婆あさんの
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