疹《はしか》になって、お医者が見切ってしまったのを、わたしは商売も何も投遣《なげやり》にして介抱して、やっと命を取り留めた。世間は物騒な最中で、井伊様がお殺されなすってから二年目、生麦《なまむぎ》で西洋人が斬られたと云う年であった。それからと云うものは、店も何もなくしてしまったわたしが、何遍もいっその事死んでしまおうかと思ったのを、小さい手でわたしの胸をいじって、大きい目でわたしの顔を見て笑う、可哀《かわい》いお玉を一しょに殺す気になられないばっかりに、出来ない我慢をして一日々々と命を繋《つな》いでいた。お玉が生れた時、わたしはもう四十五《しじゅうご》で、お負《まけ》に苦労をし続けて年より更《ふ》けていたのだが、一人口は食えなくても二人口は食えるなどと云って、小金を持った後家さんの所へ、入壻《いりむこ》に世話をしよう、子供は里にでも遣ってしまえと、親切に云ってくれた人もあったが、わたしはお玉が可哀さに、そっけもなくことわった。それまでにして育てたお玉を、貧すれば鈍するとやら云うわけで、飛んだ不実な男の慰物《なぐさみもの》にせられたのが、悔やしくて悔やしくてならないのだ。為合《しあわ》せ
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