る。前にもちょっと話したようであったが、末造は小綺麗な身なりをするのが道楽で、まだ大学の小使をしていた時なんぞは、休日になると、お定《さだ》まりの小倉の筒袖を脱ぎ棄てて、気の利いた商人《あきんど》らしい着物に着換えるのであった。そしてそれを一種の楽みにしていた。学生どもが稀《まれ》に唐桟ずくめの末造に邂逅《かいこう》して、びっくりすることのあったのは、こうしたわけである。そこで末造には、この外にこれと云う道楽がない。芸娼妓なんぞに掛かり合ったこともなければ、料理屋を飲んで歩いたこともない。蓮玉で蕎麦を食う位が既に奮発の一つになっていて、女房や子供は余程前まで、こう云う時連れて行って貰うことが出来なかった。それは女房の身なりを自分の支度に吊り合うようにはしていなかったからである。女房が何かねだると、末造はいつも「馬鹿を言うな、手前なんぞは己とは違う、己は附合があるから、為方なしにしているのだ」と云って撥《は》ね附けたのである。その後《のち》だいぶ金が子を生んでからは、末造も料理屋へ出這入《ではいり》することがあったが、これはおお勢の寄り合う時に限っていて、自分だけが客になって行くのではな
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