そろそろ蚊屋《かや》を吊《つ》らなくちゃあ、かかあは好《い》いが、子供が食われるだろう」こんな事を思っては、又家の事を考えて見る。どうか、こうか断案に到着したらしく思ったのは、一時過ぎであった。それはこうである。「あの池の端の家は、人は見晴しがあって好いなんぞと云うかも知れないが、見晴しはこの家で沢山だ。家賃が安いが、借家となると何やかや手が掛かる。それになんとなく開け広げたような場所で、人の目に着きそうだ。うっかり窓でもあけていて、子供を連れて仲町へ出掛けるかかあにでも見られようものなら面倒だ。無縁坂の方は陰気なようだが、学生が散歩に出て通る位より外に、人の余り通らない処になっている。一時に金を出して買うのはおっくうなようだが、木道具の好いのが使ってあるわりに安いから、保険でも附けて置けばいつ売ることになっても元値は取れると思って安心していられる。無縁坂にしよう、しよう。己が夕方にでもなって、湯にでも行って、気の利いた支度をして、かかあに好い加減な事を言って、だまくらかして出掛けるのだな。そしてあの格子戸を開けて、ずっと這入って行ったら、どんな塩梅《あんばい》だろう。お玉の奴め。猫か
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