堅く結ばれていた。小倉服も外のは汚れているに、この男のはさっぱりしていて、どうかすると唐桟《とうざん》か何かを着て前掛をしているのを見ることがあった。
 僕にいつ誰《たれ》が始て噂《うわさ》をしたか知らぬが、金がない時は末造が立て替えてくれると云うことを僕は聞いた。勿論五十銭とか一円とかの金である。それが次第に五円貸す十円貸すと云うようになって、借《か》る人に証文を書かせる、書替《かきかえ》をさせる。とうとう一人前の高利貸になった。一体元手はどうしたのか。まさか二銭の使賃を貯蓄したのでもあるまいが、一匹の人間が持っているだけの精力を一時に傾注すると、実際不可能な事はなくなるかも知れない。
 とにかく学校が下谷から本郷に遷《うつ》る頃には、もう末造は小使ではなかった。しかしその頃|池《いけ》の端《はた》へ越して来た末造の家へは、無分別な学生の出入《でいり》が絶えなかった。
 末造は小使になった時三十を越していたから、貧乏世帯ながら、妻もあれば子もあったのである。それが高利貸で成功して、池の端へ越してから後《のち》に、醜い、口やかましい女房を慊《あきたらな》く思うようになった。
 その時末
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