、藤堂《とうどう》屋敷の門長屋が寄宿舎になっていて、学生はその中で、ちと気の毒な申分だが、野獣のような生活をしていた。勿論《もちろん》今はあんな窓を見ようと思ったって、僅《わず》かに丸の内の櫓《やぐら》に残っている位のもので、上野の動物園で獅子《しし》や虎を飼って置く檻の格子なんぞは、あれよりは※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はる》かにきゃしゃに出来ている。
寄宿舎には小使がいた。それを学生は外使《そとづかい》に使うことが出来た。白木綿の兵古帯《へこおび》に、小倉袴《こくらばかま》を穿《は》いた学生の買物は、大抵極まっている。所謂「羊羹《ようかん》」と「金米糖《こんぺいとう》」とである。羊羹と云うのは焼芋、金米糖と云うのははじけ豆であったと云うことも、文明史上の参考に書き残して置く価値があるかも知れない。小使は一度の使賃として二銭貰うことになっていた。
この小使の一人に末造《すえぞう》と云うのがいた。外《ほか》のは鬚《ひげ》の栗の殻のように伸びた中に、口があんごり開《あ》いているのに、この男はいつも綺麗に剃《そ》った鬚の痕《あと》の青い中に、脣《くちびる》が
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