、fatalistique《ファタリスチック》 な明清《みんしん》の所謂《いわゆる》才人の文章を読んだりして、知らず識《し》らずの間にその影響を受けていた為めもあるだろう。
 岡田は窓の女に会釈をするようになってから余程久しくなっても、その女の身の上を探って見ようともしなかった。無論家の様子や、女の身なりで、囲物《かこいもの》だろうとは察した。しかし別段それを不快にも思わない。名も知らぬが、強いて知ろうともしない。標札を見たら、名が分かるだろうと思ったこともあるが、窓に女のいる時は女に遠慮をする。そうでない時は近処の人や、往来の人の人目を憚《はばか》る。とうとう庇《ひさし》の蔭《かげ》になっている小さい木札に、どんな字が書いてあるか見ずにいたのである。

     肆《し》

 窓の女の種姓《すじょう》は、実は岡田を主人公にしなくてはならぬこの話の事件が過去に属してから聞いたのであるが、都合上ここでざっと話すことにする。
 まだ大学医学部が下谷にある時の事であった。灰色の瓦を漆喰《しっくい》で塗り込んで、碁盤の目のようにした壁の所々に、腕の太さの木を竪に並べて嵌《は》めた窓の明いている
前へ 次へ
全167ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング