フ膳に上《のぼ》った。いつも膳が出ると直ぐに箸を取る僕が躊躇《ちゅうちょ》しているので、女中が僕の顔を見て云った。
「あなた青魚がお嫌《きらい》」
「さあ青魚は嫌じゃない。焼いたのなら随分食うが、未醤煮は閉口だ」
「まあ。お上さんが存じませんもんですから。なんなら玉子でも持ってまいりましょうか」こう云って立ちそうにした。
「待て」と僕は云った。「実はまだ腹も透いていないから、散歩をして来《き》よう。お上さんにはなんとでも云って置いてくれ。菜が気に入らなかったなんて云うなよ。余計な心配をさせなくても好《い》いから」
「それでもなんだかお気の毒様で」
「馬鹿を言え」
 僕が立って袴《はかま》を穿《は》き掛けたので、女中は膳を持って廊下へ出た。僕は隣の部屋へ声を掛けた。
「おい。岡田君いるか」
「いる。何か用かい」岡田ははっきりした声で答えた。
「用ではないがね、散歩に出て、帰りに豊国屋へでも往こうかと思うのだ。一しょに来ないか」
「行こう。丁度君に話したい事もあるのだ」
 僕は釘に掛けてあった帽を取って被って、岡田と一しょに上条を出た。午後四時過であったかと思う。どこへ往こうと云う相談もせ
前へ 次へ
全167ページ中148ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング