けい》と云《い》ふ川《かは》の左岸《さがん》を迂囘《うくわい》しつつ北《きた》へ進《すゝ》んで行《ゆ》く。初《はじ》め陰《くも》つてゐた空《そら》がやうやう晴《は》れて、蒼白《あをじろ》い日《ひ》が岸《きし》の紅葉《もみぢ》を照《てら》してゐる。路《みち》で出合《であ》ふ老幼《らうえう》は、皆《みな》輿《よ》を避《さ》けて跪《ひざまづ》く。輿《よ》の中《なか》では閭《りよ》がひどく好《い》い心持《こゝろもち》になつてゐる。牧民《ぼくみん》の職《しよく》にゐて賢者《けんしや》を禮《れい》すると云《い》ふのが、手柄《てがら》のやうに思《おも》はれて、閭《りよ》に滿足《まんぞく》を與《あた》へるのである。
台州《たいしう》から天台縣《てんだいけん》までは六十|里《り》半《はん》程《ほど》である。日本《にほん》の六|里《り》半《はん》程《ほど》である。ゆる/\輿《よ》を舁《か》かせて來《き》たので、縣《けん》から役人《やくにん》の迎《むか》へに出《で》たのに逢《あ》つた時《とき》、もう午《ひる》を過《す》ぎてゐた。知縣《ちけん》の官舍《くわんしや》で休《やす》んで、馳走《ちそう》になりつゝ聞《き》いて見《み》ると、こゝから國清寺《こくせいじ》までは、爪先上《つまさきあが》りの道《みち》が又《また》六十|里《り》ある。往《ゆ》き著《つ》くまでには夜《よ》に入《い》りさうである。そこで閭《りよ》は知縣《ちけん》の官舍《くわんしや》に泊《とま》ることにした。
翌朝《よくてう》知縣《ちけん》に送《おく》られて出《で》た。けふもきのふに變《かは》らぬ天氣《てんき》である。一|體《たい》天台《てんだい》一|萬《まん》八千|丈《ぢやう》とは、いつ誰《たれ》が測量《そくりやう》したにしても、所詮《しよせん》高過《たかす》ぎるやうだが、兎《と》に角《かく》虎《とら》のゐる山《やま》である。道《みち》はなか/\きのふのやうには捗《はかど》らない。途中《とちゆう》で午飯《ひるめし》を食《く》つて、日《ひ》が西《にし》に傾《かたむ》き掛《か》かつた頃《ころ》、國清寺《こくせいじ》の三|門《もん》に著《つ》いた。智者大師《ちしやだいし》の滅後《めつご》に、隋《ずゐ》の煬帝《やうだい》が立《た》てたと云《い》ふ寺《てら》である。
寺《てら》でも主簿《しゆぼ》の御參詣《ごさんけい》だと云《い》ふの
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