》と仰《おつ》しやる。」閭《りよ》はしつかりおぼえて置《お》かうと努力《どりよく》するやうに、眉《まゆ》を顰《ひそ》めた。「わたしもこれから台州《たいしう》へ往《ゆ》くものであつて見《み》れば、殊《こと》さらお懷《なつ》かしい。序《ついで》だから伺《うかゞ》ひたいが、台州《たいしう》には逢《あ》ひに往《い》つて爲《た》めになるやうな、えらい人《ひと》はをられませんかな。」
「さやうでございます。國清寺《こくせいじ》に拾得《じつとく》と申《まを》すものがをります。實《じつ》は普賢《ふげん》でございます。それから寺《てら》の西《にし》の方《はう》に、寒巖《かんがん》と云《い》ふ石窟《せきくつ》があつて、そこに寒山《かんざん》と申《まを》すものがをります。實《じつ》は文殊《もんじゆ》でございます。さやうならお暇《いとま》をいたします。」かう言《い》つてしまつて、ついと出《で》て行《い》つた。
 かう云《い》ふ因縁《いんねん》があるので、閭《りよ》は天台《てんだい》の國清寺《こくせいじ》をさして出懸《でか》けるのである。

         ――――――――――――――――――――――――

 全體《ぜんたい》世《よ》の中《なか》の人《ひと》の、道《みち》とか宗教《しうけう》とか云《い》ふものに對《たい》する態度《たいど》に三通《みとほ》りある。自分《じぶん》の職業《しよくげふ》に氣《き》を取《と》られて、唯《たゞ》營々役々《えい/\えき/\》と年月《としつき》を送《おく》つてゐる人《ひと》は、道《みち》と云《い》ふものを顧《かへり》みない。これは讀書人《どくしよじん》でも同《おな》じ事《こと》である。勿論《もちろん》書《しよ》を讀《よ》んで深《ふか》く考《かんが》へたら、道《みち》に到達《たうたつ》せずにはゐられまい。しかしさうまで考《かんが》へないでも、日々《ひゞ》の務《つとめ》だけは辨《べん》じて行《ゆ》かれよう。これは全《まつた》く無頓著《むとんちやく》な人《ひと》である。
 次《つぎ》に著意《ちやくい》して道《みち》を求《もと》める人《ひと》がある。專念《せんねん》に道《みち》を求《もと》めて、萬事《ばんじ》を抛《なげう》つこともあれば、日々《ひゞ》の務《つとめ》は怠《おこた》らずに、斷《た》えず道《みち》に志《こゝろざ》してゐることもある。儒學《じゆがく》に入《
前へ 次へ
全13ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング