スのである。
「とにかく話して見ましょう。」
「どうぞ。」
 久保田は花子にこう云った。「少し先生が相談があるというのだがね。先生が世界に又とない彫物師《ほりものし》で、人の体を彫る人だということは、お前も知っているだろう。そこで相談があるのだ。一寸《ちょっと》裸になって見せては貰《もら》われまいかと云っているのだ。どうだろう。お前も見る通り、先生はこんなお爺《じ》いさんだ。もう今に七十に間もないお方だ。それにお前の見る通りの真面目《まじめ》なお方だ。どうだろう。」
 こう云って、久保田はじっと花子の顔を見ている。はにかむか、気取るか、苦情を言うかと思うのである。
「わたしなりますわ。」きさくに、さっぱりと答えた。
「承諾しました」と、久保田がロダンに告げた。
 ロダンの顔は喜にかがやいた。そして椅子から起ち上がって、紙とチョオクとを出して、卓の上に置きながら、久保田に言った。「ここにいますか。」
「わたくしの職業にも同じ必要に遭遇《そうぐう》することはあるのです。しかしマドモアセユのために不愉快でしょう。」
「そうですか。十五分か二十分で済みますから、あそこの書籍室へでも行っていて下さい。葉巻でもつけて。」ロダンは一方の戸口を指ざした。
「十五分か二十分で済むそうです」と、花子に言って置いて、久保田は葉巻に火をつけて、教えられた戸の奥に隠れた。

     *     *     *

 久保田の這入った、小さい一間は、相対している両側に戸口があって、窓はただ一つある。その窓の前に粧飾のない卓が一つ置いてある。窓に向き合った壁と、その両翼になっているところとに本箱がある。
 久保田はしばらく立って、本の背革《せがわ》の文字を読んでいた。わざと揃《そろ》えたよりは、偶然集まったと思われる collection《コレクション》 である。ロダンは生れつき本好《ほんずき》で、少年の時困窮して、Bruxelles《ブリュクセル》 の町をさまよっていた時から、始終本を手にしていたということである。古い汚れた本の中には、定めていろいろな記念のある本もあって、わざわざここへも持って来ているのだろう。
 葉巻の灰が崩れそうになったので、久保田は卓に歩み寄って、灰皿に灰を落した。
 卓の上に置いてある本があるので、なんだろうと思って手に取って見た。
 向うの窓の方に寄せて置いてある、
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