を命じた、其の親行が書き方を定めたと云ふことに傳はつて居ります。世間に流布《るふ》してゐる定家假名遣と云ふものは親行の孫の行阿の「假名文字遣」に據るので、是れには種々な版があります。假名遣と云ふ語は一體其の邊から起つたのでありませう。此の定家假名遣と云ふものを國語の變遷に伴つて發音的に作つたものだと云ふやうに見た人も前からあります。けれども、どうもさうでないやうに思ふ。兎に角素直に発音に從つて作つたものでない、いろ/\な理窟がある。例へば四聲に由ると云ふやうなことを盛んに説いてあります。此四聲と云ふものに依つて定める定め方は頗《すこぶ》るこじつけ[#「こじつけ」に傍点]ではあるまいかと思はれます。芳賀博士も獨斷だと仰しやいましたが、餘程獨斷でございませうと思ひます。醫者の本を見ますると、中頃に陰陽五行を以て有ゆる病氣のことが説明してあります。丁度あゝ云ふ氣持がします。一體此中頃の定家假名遣と云ふものを國語の變遷と見るべきでありませうかと云ふことが問題であります。一體國語の變遷と云ふものは無論口語即ち方言にのみ有る筈である。是れはさうではなくして文語だけの一時の現象である。變遷と云ふこと
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