らうかと云ふ疑があり得ると思ひます。古い拉甸《ラテン》語の如きはあれは Latium の中の Roma の上流者の言葉である。それを Livius Andronicus などの力で文語として、それを編成して、そこで拉甸語と云ふものが段々に歐羅巴《ヨオロツパ》全體にまで行はれるやうになつたと論じて居ります。或は日本のも初めからそんなものではあるまいか。さうして見ると云ふと、昔の假名遣は國民全體の用ゐたものであるから是れは存在する權利があるが、今日は少數者が用ゐるからさう云ふ權利がないと云ふ議論は、或はさう疑も無い事實としては認められぬかとも思ふ。それから中世になりまして次第に此の一旦定つた文語の衰替を來し、言葉が亂れる、それを正さうと思ふ個人の運動が起つたのでありませう。先日も御引きになつた藤原基俊の保延《はうえん》のころ即ち十二世紀の「悦目抄《えつもくせう》」の假名遣、初て此の假名遣で詞の上中下に置く假名と云ふやうなことが出て來ました。次いで所謂定家假名遣が出て參りました。定家假名遣と云ふのは定家卿が「拾遺愚草《しふゐぐさう》」を清書させるときに大炊介《おほひのすけ》親行と云ふ人に之れ
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