此間に音便が生じて來たと云ふことは今までの御論にもありました。此の音便と云ふ者は最早是れは文語の衰替の現象である。其の事は本居あたりでも「くづれたるもの」と云ふことを云つて居ります。衰替の現象であります。併し兎《と》に角《かく》それが直に發音的に寫されて居ります。扨|是迄《これまで》の假名は國民の共有物である、此後には少數者の使ふものになつたと云ふことに多くは見られて居ります。併し斯う云ふ古い時代の假名遣が果して國民一般のものでありましたか。此問題に付いては外國の例を較べて見ますと云ふと、餘程疑ふべき餘地があるやうに思ふ。Max Mueller 等は Dialect 即ち方言と云ふ詞を斯う云ふ所に用ゐます。古代に於ては何處の國でも方言は澤山あつた。其《そ》の中《うち》或る者が勢力を得て、それが文語になると云ふと、他の方言は勢力を失ふからして、其の文語の爲に壓倒せられる。斯う云ふ風に認めて居りまするが、或は我邦の古代でも文語になつて居る言葉の外に澤山の方言があつたのではあるまいかと思ふのであります。さうして見ると假名遣は既に出來た初めから少數者の假名遣を多數者に用ゐさせるものではなかつた
前へ
次へ
全42ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング