。斯う云ふ工合で行きますと、例の漢字の間違なども、どうかすると流行つて來る。其の跡を追駈けると云ふと、新しく嘘の漢字の辭書を作らんければならぬ。嘘字盡《うそじづくし》を作ることになりはせぬかと思ひます。何處の國でも國語のことを調べるときには、國語を淨めると云ふことを運動の土臺にして居ります。それに反して斯う云ふ風な仕事をしまするのは國語を濁すのであります。勿論初め誤から生じましても、前に申しまする通り、時代を經て古びが着いて自然に新しい國語のやうになつたと云ふ場合には、無論それを取るべきであります。丁度華族のお仲間に新華族が出來て來るやうな譯であります。それは國語の歴史にも先例がある。例之ば「あらたし」と云ふ語がある。是れが「あたらし」となる。斯う云ふのは是れは口語の變遷に基いて新しい語を認めたのであります。それから同じ許容になつて居る弖爾乎波の中でも「せさす」を「さす」にするやうなことは、是れは口語の方で久しく一般に行はれて居る。斯う云ふのは是れは認めて宜しい。それから種々の漢語の字音に就きまして、間違の例が今までも引かれて居りますが、例之ば畜生と云ふのは本當は「きうしやう」だと申し
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