容すると云ふ、其の便利な道が出來て居ると云ふ御認定が、稍※[#二の字点、1−2−22]大早計である。早過ぎる場合が多いやうに思ふのであります。例之ば「得せしむ」と人が書いたところが、それを直に採上《とりあ》げて是れが言語の變遷であると云つて、是れが便利な新道であると云つて、御認めになつて御許容になる。そんな必要はないかと思ひます。文盲の人があつて「得しむ」と云ふ語を知らないで「得せしむ」と書く。決して「得しむ」が不便だから「得せしむ」にしようと云つて書くのではないのであります。さうすると新聞や小説でもさう書く。それが媒介になつて次第に擴がる。是れも古びが着いて一つの歴史的のものになれば、誤謬《ごびう》から生じた詞でも認めんければならぬのでありますけれども、それを急いで認めることはどうも宜しくないかと思ひます。例之ば氣の狂つた人があつて道もない所を奔《はし》り、衆人が附いて行く。直にそれを是れが道だと云つて、大勢が附いて行くから道だと云つて直にそれを道にすると云ふのは、少し其の仕事が面白くないかと思ふ。間違を人のするのを跡を追駈けて歩いて居るやうに、吾々の立場から見ると見えるのであります
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