國で定つた宗教がありまして、人民が外の宗教を信じてもそれを許容する。それが Tolerance である。Tolerance と云ふことを使はれる場合は多くは何か正則なものが先きへ認めてある。正則のものがなくて Tolerance と云ふことはありませぬ。彼の弖爾乎波《てにをは》の許容になりましたときなどは、まだ元の語格を正則にしてある。それに背いて居る弖爾乎波を許容する。斯うなつて居ります。「得しむ」は正則である、「得せしむ」は許容すると云ふのでありますから、趣意は能く分つて居ります。此の比例が假名遣になつてから狂つて來ました。元の假名遣を正則にして發音的に新に作る假名遣を許容するなら宜しい。然るに發音的に新造する分の假名遣を正則にして、教科書に用ゐるのでありますと、それは許容ではない。之に就いては度々諸方から議論がありました。少し野卑なことを申しまするけれども、此度の假名遣に於けるところの許容と云ふことは、稍※[#二の字点、1−2−22]《やゝ》とんちんかん[#「とんちんかん」に傍点]だと思ふのであります。此の許容に就きまして、どうも私共の見る所では、世間に便利な道が出來て居るから許
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