ます。さう云ふのは「ちくしやう」と云ふ國語と認めて宜しい。新しい語で言ひましても、輸出《しゆしゆつ》を「ゆしゆつ」と云ふ。此の位に固まつて來れば國語と認めるのに異議はないのであります。併し餘り早まつて認定をしないで、少しづゝ徐々に認定をするのが至當な方法であらうと思ふのであります。さう云ふやうに私は少數の人が用ゐて居つても、其の少數の人が國民の精華とも云ふべき人であるならば、其の用ゐて居るものを廣く國民に及ぼすと云ふことを圖りたいと云ふ考であります。
此考に付いて最も芳賀博士などのお説とは衝突を來たすのであります。芳賀博士は必要不必要と云ふことを論ぜられます。多數の用ゐて居らぬものを多數に強付ける必要はないと云ふのであります。さう云ふことをする權能は文部大臣にあるかどうか疑はしいと、斯う云はれるのであります。芳賀博士の總ての御議論は實に達識な御議論であつて、感服して居ります。併し此の必要不必要の論、文部大臣にさう云ふ權能がありや否やと云ふ御論には、少し私は同意が出來ないのであります。言語の變遷は口語の上にあります。それは自然に行はれて行く。文語の方になりますと云ふと、是れは人工の加つ
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