k の生涯、公文書にだけはつひ/\新假名遣を排斥し通した。あゝ云ふ豪傑でありますから何か深い考があつたかも知れませぬ。當局の御説明に倫理には正とか邪とか云ふことがあるけれども、假名遣にそんなことがないと云ふやうなこともありました。けれども倫理だつても矢張變遷は始終あるもので、吾々が仇討とか腹切とか云ふことに對してどう云ふ倫理上の判斷を有つて居つたかと云ふことは、今日と前と較べれば大變な違であります。倫理に於てどんな Authority をも認めないとなりますると云ふと、終には善惡の標準がないと云ふやうな騷ぎになります。私も假名遣に絶對的に正と邪があるとは云ひませぬ。併し前にも申します通り口語こそ變遷を致しますけれども、文語に變遷と云ふことはないのであります。衰替現象で變つて來るのでありますからして、口語の變遷を何時も見て居て、其中固つた所を拾ひ上げては假名遣を訂《なほ》して行くと云ふ樣なことならば、漸を以てしても宜しからうと思ひますけれども、其の文語に定まつて居るものは正として、之を法則として立つて置いて宜しいかと思ふのであります。芳賀博士も此の正邪に就いて御論がありまして、河の流の比
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