例の陳勝呉廣《ちんしやうごくわう》のやうなものが早く前からあるのであります。既に南朝の藤原長親《ふぢはらのながちか》即ち明魏《みやうぎ》法師も假名は心の儘《まゝ》に書けと云ふことを云つて居ります。それから極く近くなりますと、澤山さう云ふ例があります。漢學者の帆足萬里先生、彼の人は嘉永五年に歿しました。彼の人の「假字考」と云ふものに斯う云ふことが書いてあります。「今の世の假名遣と云ふものは正理あるものにあらず、久しく用ゐなれぬれば、強《しひ》て破らんも好からぬ業なるべし、其の掟《おきて》にたがひたりとてあながちに病むべからず」是れは許容説の元祖とも言へませう。それから井上文雄と云ふ先生があります。明治四年に歿しましたが、此の人の「假字一新」と云ふ本があります。是れも假名は心の儘に書けと云ふのであつて、復古の假名遣を排斥しまして、却《かへ》つて定家の方に荷擔《かたん》して居ります。それから井上|毅《こはし》先生の字音假名遣のこと、是れは當局が此席でも御引用になつて居る。斯う云ふやうな沿革を經て來て、さうして今日の假名遣改正の問題が出て參りまして、頗る堅牢《けんらう》な性質の運動になつて來た
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