やうに思ひます。先づ斯う云ふ沿革だと自分は思つて居ります。
 是れから少しく自分の意見を述べようと思ひます。最も私が感歎して聞きましたのは大槻博士の御演説でありました。引證の廣いことは固《もと》より、總て御論の熱心なる所、丁度彼の伊太利の Renaissance 時代の Savonarola の説教でも聽いたやうな感がしました。私は尊敬して聽きました。併し其の御説には同意はしませぬ。少數者の用ゐるものは餘り論ずるに足らない、多數の人民に使はれるものでなければならぬと云ふのが御論の土臺になつて居ります。併し何事でもさう云ふ風に觀察すると云ふと、恐《おそら》くは偏頗《へんぱ》になりはすまいかと思ふのであります。政治で言つて見ても多數に依れば Demokratie 少數ならば Aristokratie と云ふ者が出て來ます。此の頃の思想界に於て多數の方から、多數の方に偏して考へますると云ふと、社會説などもそれであります。それから之れに反動して極く少數のものを根據にして主張する Nietzsche の議論などもある。之れに據ると多數人民と云ふものは芥溜《ごみため》の肥料のやうなものである、其中
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