アヴルから連れて来た時、己は丁度ソフアの上に寝てゐた。それを覚えてゐて、ジヤツクは己を見ると直ぐに寝て見せる。そして笑ふ。どの猿でも笑はないのはない。小声で笑ふので人が心付かずにゐても、笑ふ事はきつと笑ふ。兎に角笑ふと云ふ事が人間の専有ではない。
 エヅアアル・ロツクロアはきつとまだ覚えてゐるだらう。なぜと云ふに、あの男は物を忘れると云ふことがないからである。あの男がリユウ・ド・ヲシントンに住つてゐる時、猿を飼つてゐた。或る日曜日に己達はその家で、窓を開けて昼の食事をしてゐた。その時窓のムウルヂングの上に蹲つてゐた猿は、何か旨い物を貰はれさうなものだと思つて待つてゐるらしかつた。それが突然食卓から目を放して中庭を見下した。そして非常に早くロツクロアの読み書きをする机の上に飛び上がつて、インクの瀋《にじ》んだのを吸ひ取る沙《すな》が、皿に盛つてあるのを取つて、又非常に早く窓に帰つて、その皿の中の沙を、丁度中庭を通つてゐた誰やらに蒔き掛けた。そして窓のムウルヂングの上に蹲つて、己達の方を見て満足らしい表情をした。一種の笑と看做《みな》される表情である。さも嬉しげで、それに人を馬鹿にしたやう
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