の記載に拠るに、京水は上野三枚橋の畔《ほとり》の家にあつて書したのである。しかし京水は此時全巻を書したのでは無い。彼「善直誌」と署した部分の如きは、これに先《さきだ》つて書したものと覚しく、又これに後れて追書《つゐしよ》した文字は天保六年七月二日に及んでゐる。即ち終焉に先つこと僅に一年である。
此巻物の内容は極て豊富である。わたくしをして奈何に其梗概を読者に伝ふべきかに惑はしむる程豊富である。わたくしは此に内容の梗概に筆を著けむとするに臨んで、先づ読者に一|事《じ》を告げて置きたい。それはわたくしの曾て懐いてゐた疑が、未だ全くは解けぬまでも、半《なかば》以上此に由つて解けたと云ふ事である。此巻物が略《ほゞ》わたくしを属※[#「厭/食」、第4水準2−92−73]《ぞくえん》せしめたと云ふ事である。
わたくしの筆を著くることを難んずるのは、此巻物の内容が啻《たゞ》に豊富なるのみではなく、又極て複雑してゐて、その入り乱れた糸の千筋を解きほぐすに、許多《きよた》の思慮を要するからである。此巻物は首に「参正池田家譜」と題してあつて、其体裁より言へば系図である。しかし単に系図として看ても、全巻
前へ
次へ
全1133ページ中691ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング