と京水全安系との両系の合墓が雑司谷にあるのである。
 そして京水の墓誌は永遠に湮滅《いんめつ》してしまつた。其全文を読み、其撰者の誰なるを知らむと欲するわたくしの望の糸は此に全く断ち切られたのである。

     その二百二十一

 わたくしが池田京水墓誌の全文を読み又其撰者の誰なるを知らむと欲したのは、京水の身上に疑ふべき事があつて、わたくしはこれが解決を墓誌に求めたのである。
 然るに墓誌を刻した嶺松寺中の石は、合墓《がふぼ》が巣鴨に立てられたと共に処分せられて、墓誌の文章は此に滅びた。又わたくしの望を繋いでゐた江戸|黄檗禅刹記《わうばくぜんさつき》も京水の墓誌をば載せてゐない。
 幸に我客二世全安さんは、別に京水身上の疑を解くに足るべき文書を蔵してゐた。それは京水自筆の巻物である。
 此巻物は「文政四年冬十一月九日朝より夜の子の刻に至るの間調薬看病の暇に書、名※[#「大/淵」、8巻−52−上−1]、字河澄、号京水、一号酔醒、又号生酔道人、仏諡可用宗経」と云ふ奥書があつて、下《しも》に華押《くわあふ》がある。又他の箇所には「善直誌」と署してある。文政四年は京水三十六歳の時で、巻子中
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