水の実父なりや養父なりやは、曩《さき》にわたくしは決することを得ずに、疑問として残して置いた。しかもわたくしは実父説に重きを置いて、養父説をば一説として併せ存して置いた。是は錦橋が幕府に対して実子と申し立てゝゐたらしかつた故であつた。今わたくしは錦橋が確に寛政十二年の書上《かきあげ》に京水を以て実子となしてゐたことを知つてゐる。そして又それが虚構であつたことをも知つてゐる。
 わたくしは初に京水を語つた時と、再び京水を語つた時との間に、錦橋の宗家の後裔たる池田|鑑三郎《かんざぶらう》さんと相見た。是が研究上|稍《やゝ》大《だい》なる進歩であつたことは勿論である。
 しかしわたくしの主として知らむと欲したのは、父錦橋にあらずして子京水である。鑑三郎は嫡子京水|善直《ぜんちよく》の廃せられた後、其父錦橋の門人中より出でて宗家を継いだ霧渓晋《むけいしん》の後裔である。鑑三郎に縁《よ》つて分家京水の事を知ることは困難であつた。
 わたくしは百方捜索して京水の後裔を識らむとした。しかし久しく何の得る所も無かつた。
 然るにわたくしは本伝に錦橋の死を記した後、今京水の死を記する前、即ち再び京水を説
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