一間の階段を造らしめ、特にこれを堅牢にせむことを求めた。その出来て来たのを見れば、数人が践《ふ》んで升《のぼ》ることを得る程堅牢であつた。此雛段は久しく伊沢の家にあつて、茶番などの催さるゝ毎に、これに布を貼つて石段として用ゐられたさうである。
此年冬榛軒は癰《よう》を病んだ。榛軒詩存に「天保七年丙申冬夜、病癰臥」の五律がある。「病夫苦長夜。一睡尚三更。風定林柯寂。月升烏鵲鳴。倦書背燈影。欹枕算鐘声。愁緒遣無地。通宵誦仏名。」
その二百十八
此年天保七年十一月十四日に池田|京水《けいすゐ》が歿した。柏軒が京水の家に就いて痘科《とうくわ》を聴いたことは、上《かみ》に記したるが如くである。又蘭軒門人渋江抽斎が同じく京水に学んだことは曾て抽斎の事蹟を叙するに当つて言つて置いた。京水は後に一たび榛軒の女《ぢよ》柏《かえ》の夫となるべき全安《ぜんあん》の父である。
わたくしは抽斎の事蹟を叙して、始て其師京水に言及した。次で此年丙申に先《さきだ》つこと二十年文化丙子に、京水の養父|錦橋《きんけう》が歿した時、わたくしは再び其子京水の事を語つた。わたくしは此に養父と書した。錦橋が京
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