しい。
たかの気質は男子に似てゐた。言語《げんぎよ》には尋常女子の敢て口にせざる詞《ことば》があり、挙措《きよそ》には尋常女子の敢て作さざる振舞があつた。たかは毎《つね》に磯野勝五郎、小野|富穀《ふこく》の輩《ともがら》と酒を飲んで快談した。又男子の花信を伝ふるを聞いて、直に起つて同じく観むことを勧めたこともある。此等は後年柏軒の嗣子|磐《いはほ》の聞き伝へてゐて、渋江保さんに語つた所である。是も亦祝賀の日に当つて、措辞の忌憚なきを致した一原因であらう。
これを読むものは、たかの性行中より、彷彿として所謂新しき女の面影を認むるであらう。後に抽斎に嫁した山内氏五百も亦同じである。此二人は皆自ら夫を択んだ女である。わたくしは所謂新しき女は明治大正に至つて始て出でたのではなく、昔より有つたと謂《おも》ふ。そしてわたくしの用ゐる此|称《となへ》には貶斥《へんせき》の意は含まれてをらぬのである。
柏軒が家を中橋《なかばし》に構へたのも、恐くは此頃の事であらう。文書の上に於ては、わたくしは弘化四年の榛軒の湘陽紀行中に始て中橋の家の事を見出した。しかし柏軒が中橋に別居したのは、迎妻のためではな
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