斎の妻《さい》五百の姉夫《あねむこ》塗物|問屋《どひや》会津屋宗右衛門方の通番頭は首席を庄太郎と云つて、年給四十両であつた。五百の里親神田紺屋町の鉄物《かなもの》問屋日野屋忠兵衛方には、年給百両の通番頭二人があつて、善助、為助と云つた。此日野屋すら相応の大賈《たいこ》であつた。此等より推せば、通番頭三人に各年に百五十両を給した、津軽屋の大さが想見せられる。且津軽家は狩谷に千石の禄を与へた。次年五月は廩米《りんまい》中より糯米《じゆべい》三俵を取つて柏餅を製し、津軽藩士と親戚故旧とに貽《おく》るを例としてゐたさうである。
 ※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の死は、津軽屋のためには尋常隠居の死として視るべきではなかつただらう。懐之は固より凡庸人でなかつたことが、慊堂の「風度気象能肖父」を以て証せられてゐる。しかし性頗る酒色を好んだ。家にあるに手杯《てさかづき》を釈《お》かず、客至れば直に前に陳《なら》べた下物《げぶつ》を撤せしめて、新に※[#「肴+殳」、第4水準2−78−4]核《かうかく》を命じた。そして吾家に冷羮残炙《れいかうざんしや》を供すべき賤客は無いと云つたさうである。
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