女である。わたくしの此より下《しも》に記する所は、刀自の記憶に負ふ所のものが極て多い。
 此年|閏《じゆん》七月四日に狩谷※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎が六十一歳で歿した。松崎|慊堂《かうだう》撰の墓誌に、「天保乙未、遽焉嬰病」と書してあるから、前年甲午に至るまでは尚|健《すこやか》であつたと見える。他日慊堂日暦を閲《けみ》したらば、或はその何の病なるを知ることを得るかも知れない。※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の歿したのは、浅草の常関書院に隠居してより第十九年の事である。津軽家用達として世に聞えてゐた湯島の店には、当主|懐之《くわいし》が三十二歳になつてゐた筈である。懐之の妻は所謂呉服屋後藤の女《むすめ》で、名をふくと云つたさうである。
 湯島の津軽屋は大い店で、留蔵、音三郎、梅蔵三人の支配人即|通番頭《かよひばんとう》が各《おの/\》年給百五十両であつた。渋江保さんの話に、渋江氏の若党柴田清助の身元引請人利兵衛は、本町四丁目の薬店《やくてん》大坂屋の通番頭で、年給二十両であつた。大坂屋では是が最高の給額で、利兵衛一人がこれを受け、傍輩に羨まれてゐた。渋江抽
前へ 次へ
全1133ページ中670ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング