書であつたとすると、里恵は夫の死してより第七十七日に筆を把つたのである。其時幼女陽は疱瘡の回復期であつた。「はうさう後虫が出」云々《しか/″\》と云つてある。次に里恵は書を広江氏に寄せた時、醇を児玉氏へ「せつかく此節遣候(はむ)と存候」と云つてゐる。是が夫の死してより第九十二日である。此後十二月三日に至つて、百箇日が始て終つた。
百箇日の間夫の位牌に仕へた里恵の情は、上に引いた書にいかにも切実に描き出されてゐる。「誠に/\此せつも遠方へゆかれ留守中と存候て、日々《にち/\》つとめ申候。左様なくば、むねふさがり、やるせなく、御さつし可被下候。」わたくしは事実を録するを旨としたために、此語をも省いた。わたくしの判断を以てすれば、人情の極至は水仙花|云云《うんぬん》の語に在らずして此語に在る。
里恵は次年癸巳の春|聿庵《いつあん》の江戸より来るのを待つてゐる。聿庵は二弟の中一人を安藝へ率《ゐ》て行く筈である。此事は啻《たゞ》に上に引いた書に見えてゐるのみでなく、蚤《はや》く里恵の小野氏に寄せた書にも見えてゐる。そして小野氏に寄せた書には、事が杏坪《きやうへい》の意に出でたやうに云つてある
前へ
次へ
全1133ページ中664ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング